ないものねだり。

ないものねだりばかりしている、どうしようもない私のブログです。弟を亡くし、自死遺族となりました。

令和

平成もあと少し。

平成に生まれて平成のうちにいってしまった弟。

平成に生まれて令和も生き延びそうな私。

このままでいいんだろうか。

 

お墓参りしても、写経しても、ご冥福をと祈っても、結局自己満足でしかなくて。

生きている人に対してできること。

もういない人に対してできること。

私に見えたり聞こえたりしないだけで、何か届いているんだろうか。

少しでもらくに、幸せになってくれたりしているんだろうか。

 

確かめようもないから、いいことがあるより悪いことがあった方が安心する。

幸せになりたくないわけじゃないけれど、遠ざけないといけないような気持ちになる。

ずっとひとりでいたら、同じお墓に入れるのかな。そうしたら、少しでも会えたりするのかな。

冷たい頬、箸で浮く軽さ、それでも確かにあった骨壷の重さ。

ここにいないなら、どこかにいるのか。どこにもいないのか。

私が知覚できないだけで、どこかには在るのか。死後は無なのか。何かあるのか。

何もわからないけれど、都合よく少しでも幸せで平穏な想像をしたい。

ごめんね。ご冥福を。

お仕事

弟と最後に会えた日も過ぎてしまって、もうすぐ、去年の今日は、と思い返すこともできなくなる日々がやってくる。

仕事で、些細なことだけれどささくれるようなことがあって。今の時期はきっとこうなるだろうからと、事前に恥を忍んで相談したけれど、構わず板挟みやら業務終了時刻に話し始めたり。

残って効率悪く仕事をしながら、頭のてっぺんから、しゅわしゅわと炭酸が抜けていくような感覚。話を聴いてくれる方もいるのに、すべて放り出したくなる。

家に帰って写真を見て、もういやだなーって愚痴る。この紐で首を括ったら、あそこから飛び降りたら、線路に飛び込んだら、もうあの人と話さなくていい?仕事に行かなくていい?もう考えなくていい?君のいない日々を数えなくていい?

そんなことを思って、汚い部屋をみて、深呼吸をする。このまま残しちゃだめ。あんな思い、誰かにさせちゃだめ。まだ無駄な理性は残っている。

一周忌法要

弟の命日は10月18日なので、まだもう少しありますが、今日、一周忌法要を終えました。

 

親族が集まりやすい日をということでしたが、両親の離婚で母方は遠慮したため、10人の小さな法要でした。

父方従兄弟や祖父母とは疎遠であったため、気まずさもあり、申し訳なさもあり、肩身がせまい思いでしたが、集まってもらえたことはありがたく思いました。

 

新幹線で家を出て3時間。地元の駅に着いて、弟が迎えに来てくれているかな、なんてあほなことを思いました。弟の一周忌法要のために来たというのに。

亡くなったことは頭で事実としてわかっているつもりでも、心がまだ追いついていなくて、どこか認められていないのだと思います。

 

両親と合流して、檀家になっているお寺へ。弟の同級生の娘さんがいて、和尚さんは両親とも同世代程度。複雑な気持ちです。

親族がぽつりぽつりと集まってくれて、でも、来られない人たちもいて。お通夜、葬式、四十九日、初盆…徐々に弟が忘れられていってしまうのではないかと不安になります。

事情があって来られない人がいることも、自分たちの行いのせいで来られないこともわかっているのに…

 

般若心経を唱えて、手を合わせて。涙を堪えていたのに、お焼香をしたら堰を切ったようにはぼろぼろ涙が落ちてきました。

さみしい、かなしい、つらい…ぐるぐるぐるぐると。手を合わせてくれた従兄弟の横顔がどこか弟に似ていたり、この中で一番若いはずの弟の法要をしていること、つらい時にいつも声を掛け合っていた弟が横にいないこと…

 

日常の中に押し込めて、考えないようにしてきても、ずっといつもここにあるのです。

消えることも褪せることもなくて、透明なケースに覆われたような。みえるしすぐ触れられるけれど、その時どちらともなく壊れてしまうのが、とてもとてもこわいのです。

 

この一年弱、2回首をつりました。

とてもとても苦しかった。

でも、弟のように決意に満ちたものではなくて、すぐにこわくなりました。息苦しさと、弱虫な痕が残るだけで終わりました。

たぶん、生き続けている方が余程しんどい。

でも、自分で自分の人生を終わらせるのもとてもしんどい。痛みを伴わない自死の方法はいくら探してもみつかりません。

生き延びてしまった時のことを想像するのも恐ろしい。

だから、やっぱり弟はすごいなと思います。

本当は尊敬すべきところではないのかもしれませんが、自分で選んで決断してやり遂げるというのは、誰にでもできることではありません。

抑うつ状態で視野狭窄が生じていたかもしれない。正常な判断ができなかったのかもしれない。それでも、弟が弟に与えられた環境の中で考え抜いてしたことだと、認めたいです。

私たちの声が届かず、存在がこの世との鎹に成り得なかったことは、とても悲しいですが…

 

同じような境遇の方と話もしました。

でも、根底にある生育環境や家庭環境の違いで歩み寄れなくて、うらやましささえ、感じてしまいました。私は、存在するかもわからないぽかぽか家族のようなものに強く憧れていることもわかりました。

弟は家族をつくりたいと言っていて、私は結婚や出産、家事育児なんかは私と対極にあるように思っていました。

でも、きっと私はおかえり、と言ってほしかった。帰る家がほしかった。

日帰りでとんぼ返りするのではなくて、自分の部屋が残っていてほしかった。今日何食べたい?とか聞かれたかった。一緒のテーブルで食事をしてみたかった。お風呂湧いたよ、とか言われたかった。眠る場所がほしかった。損得も計算もなしに頼れる相手がほしかった。

 

他の家族を知らないので、そんなぽかぽか家族は存在しなくて、ホームドラマのなかにだけある幻想なのかもしれない。

でも、そんなものがあれば。大人になって自立しても、いつかのあたたかい記憶があれば。そんなことを思ってしまいました。

 

自分が得られなかったものを手に入れるために、自分にしてあげられなかったことをしてあげるために、ひとは家族を創るのでしょうか。

 

育てる自信も守る決意も勇気もない私は、まだ家族がこわいし、自分の遺伝子を残そうということがとても気持ち悪く、無責任なことに思えてなりません。

いつか、与えてもらうばかりでなく、少しでも分け与えられるひとになれたらいいなと思います。

どれだけの時間が残されているかわかりませんが、弟に会えるかもしれないその日まで、もう少し生きてみます。

夏の終わり

8月が終わろうとしている。

9月は、弟が自殺未遂をした月。

10月は、弟がひとりでいってしまった月。

もうすぐ、一年経とうとしている。

月日の流れがこわい。

激流のような感情は多少コントロールできるようになったけれど、ふと、見飽きたテレビでも消すみたいに、生きるのをやめたくなる。

夜になって、弟の写真やLINEでのやりとり、弟を連想する音楽を聴くのをやめられない。

泣いてぐちゃぐちゃになって傷つけて、一種のカタルシスのように浄化して、不毛な繰り返し。

月日が経てば、と思っても、どうにもならないことの方が多い。

仕事も責任も役割も全部放り出して、すーっと消えたい。

せめて一周忌まで、と短期目標のようにじわじわ命日をのばしていくけれど、どうにもならない。一年を超えたら、なにかが変わるのだろうか。

初盆

私たちの生まれた地域では、7月にお盆がある。

13日に迎え火を焚いて、16日の今朝、送り火を焚いてきた。お経を唱えてもらって、寺施餓鬼へ行って、お墓参りして、祈ってきた。

幼い頃は意味もわからず、胡瓜で馬を、茄子で牛をつくり、松明の脇で花火をしたのに。弟のために松明を焚くなんて。

 

少し両親と話をする機会もあった。努めて歩み寄ることはできても、きっとわかり合うことはできないと改めて思った。

父として、母として、姉として。機能不全家族でもあったから、役割が果たされていたわけではないけれど、立場が違えば思いも違う。

それはわかっているつもりなのに、なかなか呑み込めない言葉があって。それでも、そこを指摘してはいけないと思って、呑み込んで、わかったふりをして、離れていく。

 

地元でホテルに泊まるのも慣れてしまって、なんだか虚しく思いながら、帰る場所をなくしてごめん、という弟の言葉を思い出した。

季節は巡る。9ヶ月目の月命日は、私の誕生日でもある。年子なのに、私ばかり年をとって、年が離れていってしまう。

 

ゆっくりと、牛で帰っていったのだろうか。こんな私たちのもとにでも、帰ってきてくれたのだろうか。

暑い日が続くけれど、きつい思いをしていませんように。穏やかでありますように。幸せでありますように。ご冥福をお祈りします。

術後4日目になった。ドレーン、バルーン、点滴、モニター、パルスオキシメーター、フットポンプやらで繋がれているような心地だったけれど、徐々にはずれて、もうすっかり自由の身になった。

傷口はまだじくじくと痛むけれど、歩けるし食事もとれるし、シャワーも浴びられる。

順調に傷口は塞がっていく。痛ければ鎮痛剤を飲めば、きっと痛みは落ち着く。身体の傷は日に日によくなっていくのを実感できる。

弟の頸の傷も、1週間足らずで塞がって、退院した。でも、心は、どうにもならなかった。

術後4日の傷より、もうすぐ9ヶ月経とうという傷の方が痛い。薬も効かない。かさぶたにもならずにじゅくじゅくしている。初盆も今週末にあるのに。

どうして、と思うたびに、入院なんかしないでお前が死ねばよかったのに、とぐるぐるする。

心に効く薬があればいいけれど、鈍くさせたり、あげるばかりで、どうにもうまくいかないだろう。それも、裏切りみたいで受け入れられない。睡眠薬抗不安薬も、助けを求められずにいってしまったのに。

心の傷も目にみえたら楽なのに。終わりも果てもない気がする。時間薬というものも信じられなくて、途方も無いけれど、それがばつなのかなぁとぼんやり思う。

9ヶ月目の月命日は、私の誕生日。年子なのに、またわたしばかり歳をとってしまう。

初盆

もう6月も終わる。

私たちの地元では、7月にお盆がある。

盂蘭盆会、施餓鬼…馴染みのない言葉が現実として近づいてくる。

また、あの人たちにも会わなければならない。

2週間入院が延びたので、法要の前日に退院になる。気力も体力ももつだろうか。

未だに、弟のために初盆の準備が進んでいくことに違和感がある。祖父母だって父母だって私だって生きているのに。

どうして、弟だけいないのだろう。